展覧会紹介
© Succession H. Matisse Photo: François Fernandez
セクション構成
色彩の道
最初のセクションでは、マティスの故郷であるフランス北部で描かれた作品や、フォーヴィスムの時代へ向う頃に制作された作品を紹介します。故郷の法律事務所で働いていたマティスは、体調を崩して病に倒れ、母親から絵具箱を買い与えられます。これが彼と芸術との出会いでした。パリの国立美術学校でギュスターヴ・モローに学んだ後、マティスは南フランスのトゥールーズやコルシカ島に滞在し、光の表現を探求するスタイルに初めて取組みました。まばゆい光の輝きを放つこの地の気候との出会いが、解放された色彩を備える一連の絵画が生まれる契機となったのです。
アトリエ
1917年のニース滞在をきっかけに、マティスはこの街でアトリエを転々とさせて制作に励むようになります。アトリエはマティスにとって創造の現場であると同時に、絵画の中心的な主題の一つでもありました。また、彼は1938年に引っ越したニースの高台にあるオテル・レジナのアトリエに、花瓶、テキスタイル、家具調度など、多様な文化的起源を持つ膨大なオブジェを飾り、絵画の中でも頻繁に描きました。本セクションでは、アトリエで描かれた作品、あるいはアトリエを主題とした作品を中心に紹介します。
舞台装置から大型装飾へ
本セクションでは衣装デザイン、壁画、テキスタイルの領域におけるマティスの仕事を紹介します。マティスは1920年にパリのオペラ座で公開された舞台「ナイチンゲールの歌」の舞台装置と衣装デザインを手掛けました。1930年にアメリカのバーンズ財団の装飾壁画の注文を受けたマティスは、約13メートルを超える壁画にダンスを主題としてダイナミックに動く人物を描き、この仕事を契機として大型装飾に職業的使命を認めることになります。
自由なフォルム
本セクションでは、切り紙絵の技法を用いた作品を中心に紹介します。マティスは切り紙絵を基にしたステンシルによる図版とテキストで構成される書物『ジャズ』(1947年刊行)を手掛けます。彩色された紙を切り貼りする切り紙絵の技法は、厳密な色面の構成を可能とし、印刷物やテキスタイルなどの表現媒体にも適応しやすいものだったのです。1948年から始まるヴァンス礼拝堂の建設計画とともに、切り紙絵はますます自律的な表現方法としての地位を確立します。
ヴァンスのロザリオ礼拝堂
1948年から1951年にかけての4年間、マティスはヴァンスにあるドミニコ会の修道女のためのロザリオ礼拝堂の建設に専心します。本セクションでは、この礼拝堂にまつわる作品や資料を紹介します。マティスはこの礼拝堂の室内装飾から典礼用の調度品、そして典礼のさまざまな時期に対応する祭服に至るまで、デザインのほとんどを指揮し、総合芸術作品として練り上げました。ステンドグラスの窓から透過する光は、3つの図像が黒で描かれた白い陶板の壁面や床面に、豊かな色彩が反映されるように設計されています。